「新選組」と「白虎隊」は、いずれも幕末期に活躍した日本の武士や兵士のグループですが、目的や活動内容、背景が異なります。
「新選組」と「白虎隊」の違い、なぜ「新選組」と「白虎隊」が混同されやすいのかについても解説していきます。
新選組(しんせんぐみ)とは?
「新選組」は、幕末期に京都で幕府側の治安維持を目的に活動した武士集団で、近藤勇や土方歳三などが尊皇攘夷派の取り締まりを行いました。
設立時期
1863年(文久3年)
設立背景
新選組は、幕府の直属の武士(浪士)たちで組織され、江戸時代末期の京都で活動しました。
設立目的
京都の治安維持や幕府側に対する反乱の抑止を主な目的としていました。特に、尊皇攘夷派(倒幕派)に対する取り締まりが中心でした。
活動
「新選組」は、倒幕派の武士や志士を取り締まり、京都の治安維持に貢献しました。池田屋事件や蛤御門の変などでの活躍が有名です。
解散時期
1869年(明治2年)に旧幕府勢力が崩壊すると共に、新選組も消滅しました。
白虎隊(びゃっこたい)とは?
「白虎隊」は、戊辰戦争で会津藩を防衛するために結成された16~17歳の若年兵士による部隊で、会津戦争で戦いました。
設立時期
1868年(慶応4年)
設立背景
白虎隊は、会津藩の藩士の中で16歳から17歳の若年兵士たちによって構成された部隊です。戊辰戦争(ぼしんせんそう)での防衛戦を行いました。
設立目的
会津藩の防衛と、薩長軍(新政府軍)に対する抵抗を目的としていました。
活動
「白虎隊」は、戊辰戦争の中で会津若松城を防衛しましたが、会津戦争での戦いの中で自決を選んだ隊士たちが有名です。特に、飯盛山での悲劇は広く知られています。
解散時期
戊辰戦争の終結と共に「白虎隊」は事実上消滅しました。
なぜ「新選組」と「白虎隊」が混同されやすいのか?
「新選組」と「白虎隊」が混同されやすい理由は、以下の点があります。
時代背景の類似性
どちらも幕末という同じ時代に活動していたため、時期が重なっていることが混同の原因となります。
幕府側の勢力
両者とも幕府側の勢力として活動しており、共に新政府軍に対抗して戦ったため、同じ陣営として扱われることが多いです。
悲劇的なエピソード
「新選組」の最後や「白虎隊」の飯盛山での自決など、両者とも悲劇的なエピソードがあり、これが記憶に強く残るため、混同されやすくなります。
ドラマや映画での描かれ方
「新選組」や「白虎隊」は、ドラマや映画で取り上げられることが多く、その中で共に幕末を象徴する存在として描かれることが、混同を引き起こす要因となっています。
これらの理由が重なり、「新選組」と「白虎隊」はしばしば混同されることがあります。
まとめ
「新選組」は、幕府側の治安維持を目的とした武士の集団で、主に京都で活動しました。
「白虎隊」は、会津藩を防衛するために結成された若年兵士たちの部隊で、戊辰戦争での会津防衛戦に参加しました。